どうという日でもないけど今日からスタート ― 2011/07/16 15:19
日記を書くというのは習慣が無いけど、ネットで書き込みをするというのはちょっと面白がってやってた時期があるので、日記帳とペンを用意してやるよりは気楽に始められるわけで。
無職、独身、しかも生活支援給付ということで公金で生活させてもらっているという、親が生きていたら嘆き悲しむであろう現状だけど、起業を志す老若男女の集まる活気のある基金訓練の場は、私には大いに刺激的で、なんだか元気にしてもらっている。
で、なんか自分らしくもなく、という感じではあるのだけれど、とりあえず、元気で健康にならなくては、と思うようになった。
ジョギングしてみたり、腹筋を日課にしてみたり、食事に油ものを控えようとしてみたり、で、元気だった昔を取り戻そうとしている。ダイエット目的だ、と周りには言っているけど、どちらかというと、体重よりは体力、見栄えよりは活力を得たい感じ。
効果のほどは、フィジカル面では、おなかが少しだけへこんできたかな、という程度で、相変わらずバテるのが早いし、運動能力も上がってこないのだけれど、気分的には5歳くらい若返って、ちょっと世界が明るくなった感じがあるなあ。
若い時は、持久力でもタイムでも、日毎に向上したもんだけど、今はなかなか。同じ状態の繰り返しみたいな感じ。これが老化というもんなんだろうな。衰えないようにキープ、という発想のほうがいいのかもしれない。
でもまあ、徐々にではあるけど、腹筋の回数もジョギングの持久力も上がっている事には間違いないので、そのうち元気なマッチョ中年になれるのかも、の期待はあって、続ける原動力になっている。
フェイスブックをはじめてみたけど、ああいうコミュニケーションツールは使い慣れるまでが大変だなあ、というのが実感。
いろんなひとがのぞいている中で、重たい話やプライベートな問題なんかは歓迎されないのだろうと思うし、かといって、どうでもいいような話をアップしても我ながら白々しい気がして、自分に向いている気がしない。
何が向いているのかというと、関心のある事柄についての、意見の交換、みたいな感じかな。
人の意見も視点も、とても刺激的で、ネット上だと、相手の人となりを想像する事までがセットになって、いろんな人がいるなあ、と、世間を俯瞰する視点ができるようで楽しかった。
現実世界で、今であれば教室で、そういう意見交換というのができればいいし、確かに以前は好きだったのだけれども、どういうわけだか、いつの頃からか、大勢の前で注目を浴びての発言、という作業に、よけいな身体症状が付きまとうようになった。息がつまり、平衡感覚が失われるような・・。
死別とか失恋とか、失敗とか、そういう「S」シリーズの影響なのか、厭世的な気分で過ごした時間のツケがまわってきたんだろうな。
今はジョギングや腹筋で身体をリフレッシュすることと併せて、精神面でのリハビリというのも楽しんでやっている。
人前で話す事。思いを伝える事。
こちらのほうは、自分の感覚よりは回復が順調にいっているような気がする。とはいえ、まだまだ先はながいんだけれど。
あの山を越えて、その先の丘の向こう側あたりには祝福のゴールがあるような気がしている。
今日は、アンビリバボーの再放送で、後天的な高次脳機能障害の青年とその家族の闘病エピソードを見て涙があふれた。
脳は、自分が必要と判断した情報の管理のためには新しい回路を作る、という事だ。
自閉症なんかには、治療のヒントとなるのではなかろうか。
脳の委縮、というか、退化のような病気では難しいだろうけど、一部機能が不全なだけで他が健康な脳なら、新しい回路を作る力、というのは大きな光だと思う。補完、っていうのかな。
さて、今日は陽が落ちてからジョギングにしようかな。きのうは炎天下でさすがに無理があったから。
無職、独身、しかも生活支援給付ということで公金で生活させてもらっているという、親が生きていたら嘆き悲しむであろう現状だけど、起業を志す老若男女の集まる活気のある基金訓練の場は、私には大いに刺激的で、なんだか元気にしてもらっている。
で、なんか自分らしくもなく、という感じではあるのだけれど、とりあえず、元気で健康にならなくては、と思うようになった。
ジョギングしてみたり、腹筋を日課にしてみたり、食事に油ものを控えようとしてみたり、で、元気だった昔を取り戻そうとしている。ダイエット目的だ、と周りには言っているけど、どちらかというと、体重よりは体力、見栄えよりは活力を得たい感じ。
効果のほどは、フィジカル面では、おなかが少しだけへこんできたかな、という程度で、相変わらずバテるのが早いし、運動能力も上がってこないのだけれど、気分的には5歳くらい若返って、ちょっと世界が明るくなった感じがあるなあ。
若い時は、持久力でもタイムでも、日毎に向上したもんだけど、今はなかなか。同じ状態の繰り返しみたいな感じ。これが老化というもんなんだろうな。衰えないようにキープ、という発想のほうがいいのかもしれない。
でもまあ、徐々にではあるけど、腹筋の回数もジョギングの持久力も上がっている事には間違いないので、そのうち元気なマッチョ中年になれるのかも、の期待はあって、続ける原動力になっている。
フェイスブックをはじめてみたけど、ああいうコミュニケーションツールは使い慣れるまでが大変だなあ、というのが実感。
いろんなひとがのぞいている中で、重たい話やプライベートな問題なんかは歓迎されないのだろうと思うし、かといって、どうでもいいような話をアップしても我ながら白々しい気がして、自分に向いている気がしない。
何が向いているのかというと、関心のある事柄についての、意見の交換、みたいな感じかな。
人の意見も視点も、とても刺激的で、ネット上だと、相手の人となりを想像する事までがセットになって、いろんな人がいるなあ、と、世間を俯瞰する視点ができるようで楽しかった。
現実世界で、今であれば教室で、そういう意見交換というのができればいいし、確かに以前は好きだったのだけれども、どういうわけだか、いつの頃からか、大勢の前で注目を浴びての発言、という作業に、よけいな身体症状が付きまとうようになった。息がつまり、平衡感覚が失われるような・・。
死別とか失恋とか、失敗とか、そういう「S」シリーズの影響なのか、厭世的な気分で過ごした時間のツケがまわってきたんだろうな。
今はジョギングや腹筋で身体をリフレッシュすることと併せて、精神面でのリハビリというのも楽しんでやっている。
人前で話す事。思いを伝える事。
こちらのほうは、自分の感覚よりは回復が順調にいっているような気がする。とはいえ、まだまだ先はながいんだけれど。
あの山を越えて、その先の丘の向こう側あたりには祝福のゴールがあるような気がしている。
今日は、アンビリバボーの再放送で、後天的な高次脳機能障害の青年とその家族の闘病エピソードを見て涙があふれた。
脳は、自分が必要と判断した情報の管理のためには新しい回路を作る、という事だ。
自閉症なんかには、治療のヒントとなるのではなかろうか。
脳の委縮、というか、退化のような病気では難しいだろうけど、一部機能が不全なだけで他が健康な脳なら、新しい回路を作る力、というのは大きな光だと思う。補完、っていうのかな。
さて、今日は陽が落ちてからジョギングにしようかな。きのうは炎天下でさすがに無理があったから。
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